特定非営利活動法人

仙台敬老奉仕会


第45回研修会

平成27年11月27日(金)午後3時~4時半
会 場:仙台福祉プラザ 【地下鉄五橋駅下車1分)
テーマ:東日本大震災---生と死の狭間を行く
講 師:金田諦応師(通大寺住職)

講演要旨:
 マグニチュード9.0の巨大地震。その後の大津波。そして多くの人命と財産を奪った後に現れた満天の星空。宇宙は「生と死」「喜怒哀楽」そして「貴方と私」の区別を全て包み込み、美しくそして悲しく輝く。真理の一端が落ちて来たのを感じた。
 49日の追悼行脚。破壊された海辺を歩く。経文はやがて叫びに変わり、牧師は歌う讃美歌が見つからない。学んできた教義や宗教言語を喪失する。
 泥の中を神仏の言葉を探しながら歩いた日々。そして1年後、49日と同じ海岸に立って感じた再生の風。「色即是空・空即是色」が回転を始め、諸法のありのままの姿を受け入れている自分がいた。それはまさに信仰の崩壊と再生の物語だった。
 生きると云うことは過去・現在・未来という時間軸と家族・社会・風土という空間軸が仮に「私」と名付けられた結束点の上で展開するかけがえのない物語。人はそれぞれの物語を創造しながら生きている。
 私達の活動目的は一つ。突然の出来事で破壊され、凍り付いた時間と空間を再び繋ぎ合わせ、共に未来への物語を共に紡ぐ事。
 瓦礫の中、仮設住宅集会所に物語を動かす空間を作る。片隅に土地の宗教風土から生まれた小道具達をさり気なく置く。集会所は公共空間。こちらから差し上げると云うことはしない。ここでは布教と誤解される行為は禁物である。
 握り地蔵は奥底にこびり付いた感情を呼び覚まし、位牌の前では命の繋がりを語り出す。風土が危機的状況になった時、風土によって育まれた宗教的資源が凍てついた心を解きほぐす、そういう現場を幾度も経験した。止まっていた時間と空間が次第に動き出す。私達はそれを上手に聴き出し、揺れ動く心情と同期しながら、行きつ戻りつの長い時間を共に歩む。
 小高い丘の上にある仮設住宅。20人ほどが肩を寄せ合って暮らしていた。
そこに一人暮らす30代の女性は津波で両親と祖母を失う。大きな屋敷も跡形もなく海へと消えた。震災前から父との折り合いが悪く、関係を修復することなくお別れをしてしまったのがとても心残りだと嘆いていた。心を患い、週に一度の病院通い。訪問する度に父への思いを語っていた。ある時「私もう大丈夫」というメールがくる。
 「父が大切にしていた花壇。海水を被ってもう花が咲かないと思っていたけど三年目の春にたった一本だけ花が咲いたの。私、それを見た瞬間、父とここで生きていくと決心したの。だから私もう大丈夫」。
 一本の花が凍り付いた時間軸と空間軸を溶かし、未来への物語が再び動き出したのだ。
 初盆の時流した三つの灯籠が、沖で一つの塊となって消えていったのを見て、津波で亡くなった妻・娘・孫が大きな命の輪の中に帰り、三人一緒に暮らしていることを確信した老人。
 津波で亡くなったおじいちゃんの腕時計を修理し、おじいちゃんが生きる事が出来なかった未来を共に歩み出す事を決心したおばあちゃん。
 人には未来への物語を創造する能力、大きな命の源に繋がる能力を持っている。
 その能力をひたすら信じ、それぞれの物語が動き出すまでじっと待つ。宗教者には物語が展開していく「場」の創造、その「場」に留まり続ける「耐性」、そして個々の人生に添って創造される物語を受け止めるレンジの広さが要求される。悟りや救いを饒舌に説く事は宗教・宗派の教義の自己満足になっても、一人一人の救いにはならないのだ。宗教・宗派的な文脈で語られる「救い」ではなく、その人の物語の文脈で語られる「救い」が自然に落ちてくるまでじっと待つ事が求められるのだ。
 傾聴活動は「自他」の境界線を越える作業である。「場」は悲しみを引き寄せる「磁場」となり、そして「慈場」へと変化する。しかし「慈場」は同時に「悲場」なのだ。「慈悲」は厳しい言葉。切に他を想う心は同じ強さで己に返る。そこから「覚悟」が問われ、その覚悟を支える「戒律」が命の奥から湧き起こる。
 揺れ動く現場からは、常に自己の信仰が問われ続ける。信仰は問いと答えが循環する事によって深まっていく。これが臨床に於ける宗教者の姿だ。
 「生き残った事には必ず意味がある」、そう言い続けて歩んだ年月。ゴールの見えない路を共に歩んでいきたい。


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